あくまでざっと見て回っただけなので間違ってるところあったら許してください。なんでもry
即身仏とは
衆生救済を願い、厳しい修行のすえ自らの肉体をミイラにして残したお坊さんのこと
遺体がミイラ化したら掘り出されて、ご本尊として奉られた
山形県の庄内地方などが有名
山形で即身仏が流行ったのは、後に天台宗に改修した羽黒山との宗教的な争いの中で、湯殿山が真言宗であることを強調し、さらには修験者が厳しい修行を積んでいる証として、即身仏が増えていったということのようです。
即身仏になるための修行とは
生前に徳を積み、善行を積み重ねることで、
弟子達からは 尊敬され、且つ信者からの厚い信仰も集めている
山籠り(千日行)
丸太を組み笹で葺いた蒲鉾小屋を建て、そこを生活の場とする。
木食修行
木の皮や木の実を食べることによって命をつなぎ、経を読んだり瞑想をする。まず最も腐敗の原因となる脂肪が燃焼され、次に筋肉が糖として消費され、皮下脂肪が落ちていき水分も少なくなる
毒性が高い漆を飲み、嘔吐、発汗、利尿作用で、体の水分をさらに絞り出し、また内蔵の防腐処理を行う。
土中入定
地下に穴を掘り、石室を築き、そこに入ります。竹筒で空気穴を設け、完全に埋められた行者は断食をしながら、鈴を鳴らし、経を読み上げながら息絶えます
その鐘の音が地上の人に聞こえなくなると、息が絶えたということで一旦掘り出され、すぐにまた埋められます。そうして1000日後(3年3ヶ月後とも)に再び掘り出されると即身仏になっている。
参考
即身仏となった最初の人物は空海と言われている。諸説あるが
中国密教の影響を受けた空海は、その禁欲生活を極限にまで高めようとした。
その狙いは即身仏となり、物理世界の制約から解き放たれることである。
空海は835年、かねて弟子達に告げていたように、入定したと言われます。
この場合の入定は、死したということではなく、禅定(宗教的な瞑想)とされ、
つまりは現在でも高野山奥ノ院の霊廟で生きているという扱いを受けています。
高野山の人々や真言宗の僧侶には、空海が死んだと言うことはタブーとなっており、維那(ゆいな)という役職が設けられ、髭と髪を剃ったり、衣服と食事を給仕しているそうです。
(ちなみに弟子の真済が書いた空海僧都伝では病死したって書かれてる。
続日本後記では空海の火葬の話があるので、病死して火葬された説が有力っぽい)
参照
未曾有の飢饉、天災、疫病などにより、
餓え苦しみ、恐れおののく人々を救うために、
この世の苦悩を一身に背負い湯殿山に籠り、木食行、断食行をして、
最後には己の身と引換えに衆生救済を一心に祈願しながら土中入定をして念仏往生した
即身仏になった人の思いとして語られているけども実際は
捕まれば死刑になる犯罪者が寺に逃げ込んで、使用人になって即身仏になるって言えば匿ってもらった。
即身仏の大半はそういった人達。
即身仏になったら罪人は許され、寺は参拝客増えるから欲しがった。WinWinの関係だった。
そして山形の湯殿山で流行った理由と併せて考えたら、まぁなんとも生々しい人間味たっぷりの事情っぽいですね。
「即身仏になること」が盛んになったのは江戸時代になってから。
江戸末期当時は、遺体の内蔵を取り、天井に吊して煙でいぶして作る即身仏が生まれた。
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即身仏とは
衆生救済を願い、厳しい修行のすえ自らの肉体をミイラにして残したお坊さんのこと
遺体がミイラ化したら掘り出されて、ご本尊として奉られた
山形県の庄内地方などが有名
山形で即身仏が流行ったのは、後に天台宗に改修した羽黒山との宗教的な争いの中で、湯殿山が真言宗であることを強調し、さらには修験者が厳しい修行を積んでいる証として、即身仏が増えていったということのようです。
即身仏になるための修行とは
生前に徳を積み、善行を積み重ねることで、
弟子達からは 尊敬され、且つ信者からの厚い信仰も集めている
山籠り(千日行)
丸太を組み笹で葺いた蒲鉾小屋を建て、そこを生活の場とする。
木食修行
木の皮や木の実を食べることによって命をつなぎ、経を読んだり瞑想をする。まず最も腐敗の原因となる脂肪が燃焼され、次に筋肉が糖として消費され、皮下脂肪が落ちていき水分も少なくなる
毒性が高い漆を飲み、嘔吐、発汗、利尿作用で、体の水分をさらに絞り出し、また内蔵の防腐処理を行う。
土中入定
地下に穴を掘り、石室を築き、そこに入ります。竹筒で空気穴を設け、完全に埋められた行者は断食をしながら、鈴を鳴らし、経を読み上げながら息絶えます
その鐘の音が地上の人に聞こえなくなると、息が絶えたということで一旦掘り出され、すぐにまた埋められます。そうして1000日後(3年3ヶ月後とも)に再び掘り出されると即身仏になっている。
参考
即身仏となった最初の人物は空海と言われている。諸説あるが
中国密教の影響を受けた空海は、その禁欲生活を極限にまで高めようとした。
その狙いは即身仏となり、物理世界の制約から解き放たれることである。
空海は835年、かねて弟子達に告げていたように、入定したと言われます。
この場合の入定は、死したということではなく、禅定(宗教的な瞑想)とされ、
つまりは現在でも高野山奥ノ院の霊廟で生きているという扱いを受けています。
高野山の人々や真言宗の僧侶には、空海が死んだと言うことはタブーとなっており、維那(ゆいな)という役職が設けられ、髭と髪を剃ったり、衣服と食事を給仕しているそうです。
(ちなみに弟子の真済が書いた空海僧都伝では病死したって書かれてる。
続日本後記では空海の火葬の話があるので、病死して火葬された説が有力っぽい)
参照
未曾有の飢饉、天災、疫病などにより、
餓え苦しみ、恐れおののく人々を救うために、
この世の苦悩を一身に背負い湯殿山に籠り、木食行、断食行をして、
最後には己の身と引換えに衆生救済を一心に祈願しながら土中入定をして念仏往生した
即身仏になった人の思いとして語られているけども実際は
捕まれば死刑になる犯罪者が寺に逃げ込んで、使用人になって即身仏になるって言えば匿ってもらった。
即身仏の大半はそういった人達。
即身仏になったら罪人は許され、寺は参拝客増えるから欲しがった。WinWinの関係だった。
そして山形の湯殿山で流行った理由と併せて考えたら、まぁなんとも生々しい人間味たっぷりの事情っぽいですね。
「即身仏になること」が盛んになったのは江戸時代になってから。
江戸末期当時は、遺体の内蔵を取り、天井に吊して煙でいぶして作る即身仏が生まれた。
